2011.3.11

3.11 過ぎて大阪での生活はガス、水、トイレットペーパーも変わらず売っていて停電もない生活です。直後それでも周りの人をみると、精神的に弱っていたから自分もきていたと思う。東京から大阪に避難してくる人達にも何人かあって、思ったよりも大丈夫そうだという印象だったけれどその後余震が何回かあった。私は大阪で仕事をし、ライブをし、花見などイベントに参加して暮らしてる。新居に3月から住み始めてまだまだ不動産屋さん、大家さん、電気屋さん、ガス屋さん、ネット屋さんなどと話を進めながらのかんじだけれど、慣れてきた。料理ができて、お風呂に入れて、プライベート部屋がある生活は前の生活がやっぱり落ち着いてなかったことを自覚させる。必要なのはお金もあったけれど、自分の状況をわかってくれる人だったかもしれない。カップルを端から見ていると、パートナーのことを一番理解しているのは自分だと思っている人がいてせつなそうにみえる。自分の世界枠の中で生活している自分がいるのは確かだけれど、人と住み始めて新しい人に出会うことで幅が広がればと思う。こないだ、もんじゅの原発も地震がある日本では爆弾を抱えているようなものだという原発反対のデモが大阪であった。東京電力の下請け会社に勤めている人は放射線限度量を超えてしまう為1分しか作業出来ないという。1分を超えると命が危ないのに、作業はある。落差のある日々。